私を小さいときから見放さずずっと……

    今での幼稚園のことも、多少ながらも覚えています。台湾の山奥にある小さな町「口碑」で私は過ごしていました。小さいころかなり泣き虫だった私を慰めて、いつも一緒に居てくれてましたね。歩きながら転んでしまった時、川で溺れてしまった時、蚊に刺されただけの時ですらもあなたは優しく私を抱きしめていましたね。

    優しいだけでなく、時には厳しい母でした。

    とにかく外の世界に興味をもって兄と勝手に出かけて泥まみれになって帰ってきたりするとよく怒られていました。それでも好奇心旺盛な私とお兄さんはいつまでも自分の宝物のように、扱われていました。

   どんな時期にでもどんな状況になっても、母が私たちに与えてくれる「愛」はとても大きく、かけがえのないものだと感じていました。

    私たちが大きくなっていくにつれて周りの環境が変わってきました。周 りで感じたつらかった経験が多かったりして自分で抱え込んだ時期がありました。真っ先に気づいてくれるのはいつも母でした。なにもせずとも表情1つで私の感情と出来事を読み取ったり、「なんとなく」で気づいてくれる家族の大事さはいつまでも私にとって大きな支えでありました。いつも口ずさんでいた言葉は「不要像世俗人一様 , 相信我們是一家人。相信上帝兪我們同在。」

   「世の流れに流されず、家族を信じて、神は私たちと共にいる。」この言葉と母の大きな愛の支えがあって、私たち兄弟と従兄の「凱鴻」は大きく道を踏み外さずしっかりと大きく立派に育ってきたのだと思います。

    去年の 10 月に私は新しい家族を持ち、なつみさんと新しいスタートを切りました。その時も母は全力で応援してくれて私たちのために祈ってくれてましたね。結婚式の当日に母は出席できなかったけど、後々病院で楽しそうに式の中継を見ていたのが印象的で、とても嬉しく思いました。

    そんな母は 3 月 7 日の深夜 2 時に亡くなり、急いで日本から台湾に駆け付けたが、間に合わず母の最後が見れなかったです。本物の母が見れるのは火葬場で一瞬だけでした。もう少しだけ、もう少しだけ、と時間を止めたいくらいに過ぎていく時間がしんどく、つらかった。もう二度と本物の母は会えない。もう写真でしか見れない。

    そう考えるだけで涙がこぼれ出ていきます。

    最後に、振り返ると、母は優しくも、強い女性でした。きっと私たちにも、彼女と同じような生き方をしてほしいと思っていると感じてます。

    私たち家族はこれからもっと、今まで以上に団結して支えあい、協力して過ごしていきます。私自身に関しては母が持っていた優しい心と強い信念を持った人間として意思を受け継いで生きていきます。

    25 年間、有難う御座いました。安らかに。母へ、永遠の愛を。